dead_cherry_______21 april 2012, machida

About

制作ノートや批評、それにエッセイなどをブログ形式で、自身のサイト"T_Sasatani Photographs WEB"の一コンテンツとして組み込みたいと考え、試行錯誤しつつ準備を進めています。
むろん他愛もない日記をUPしようというのではない。これまで<写真>について書いたものや自身の写真に関して書かれたものをデジタルアーカイブするとともに、折に触れ、<写真>とその周縁をめぐり考えたり感じたりしたことを記していこうとおもったのだった。とはいえ、訳の分からないアルファベットや数字を組み合わせたペンネームが垂れ流すブログ文化を好ましく思わないので、ここではインタラクティブ性を意図的に排除した。もっとも、双方向のコミュニケーションを遮断したいのではなく、実名(それと分かるペンネームも含め)からのコンタクトはむしろ望むところであり、シリアスな写真集のような構造としたい"T_Sasatani Photographs WEB"内のカジュアルで開かれた1ページ。そうしたものとして構想している。しばらくはベータ版となります。

20120318

『iPhone をさがせ!』

20年ほど前だっただろうか、娘や息子がまだ幼かったころ『ウォーリーをさがせ!』という絵本で、人が入り乱れた絵の中からウォーリーを見つけ出すのに子供と一緒に夢中になったことがある。
これまで想起することのなかったその記憶が再生された。

平和な家族の一光景。
フラッシュバック、そしてフェードアウト。

 ¶

1週間程前に愛用のiPhone4Sを紛失してしまったのだ。
車を降りてからの僅か30分間の出来事。

以来、『iPhoneを探す』のディスプレイを見つめながら警察からの連絡を待つといった日々が続いている。
初動で回線をストップしたのが間違いだった。その後あわてて再開したものの、一度オフラインになると再度電源を入れ直さなければ回線が繋がらない。 そのため位置情報が掴めず行方不明となってしまい、依然オフライン状態のままなのだ。
警察でも事業者でも「紛失・盗難時には先ず回線を止めろ」という。
いったい何を考えているのだ!
通信額の上限を設定しさえすれば、他人に使われても被害を最小限に抑えることが出来るではないか!
なりよりも重要なのはオンライン状態を保つということだ。そうであれば位置情報が得られるばかりかリモート操作でロック出来、最終的な手段としてデータの全消去だって出来るのだ。
アドレス帳やメール、それに写真などのデータ紛失と情報流失が心配だったのだが、既に電池の消耗により電源が切れている筈だ。
もし何らかの理由で電源が入り再びONになれば、メッセージが表示され、パスコードロックが作動し、位置情報がメールで送られて来るようPCからリモート設定したので、初期に流失した可能性は排除できないもののその危険性はほぼ回避できたのではないかとおもう。
私個人の情報はともかく、アドレス帳に登録させていただいている友人知人に迷惑が及ぶような事があってはならないのだ。

 ¶

とはいえ、私にとって大きな損失は写真データを失ったことだ。ここ暫らくデータのバックアップを怠っていたのだった。
iPhone4Sはカメラとしても優れていて気軽に撮れるうえ、35mm・ハーフ・6×6・ポラロイドなど各フォーマットに応じたカメラアプリを5つもインストールしていたので、最近は日常的なスナップのみならず作品撮りもしていたのだ。
4月に行われる世田谷美術館でのグループ展には『構想中のプランをめぐるiPhoneによるいくつかの試み』を出品する予定だったので、これから新たな作品を考えなければならない。間に合うだろうか?

 ¶

今回ふたつのことを学習させられた。
バックアップは頻繁に行っておくこと。万一の場合においてもオンライン状態を維持しておくこと。

愛機捜索に一ヶ月。その間は回線を維持しておくためにも機種変更できないため、当面は以前使っていた携帯電話(なんと6台もコレクトしている)をプリペイドで使用することにした。
通話とメールの機能のみでインターネットには接続できない。
そのためいったん外出するや否や、ナビやラジオがありノートブックの携行が容易な車での場合はともかく、徒歩や電車・バスなどの移動となると不安で仕方がない。ナビがなければ知らない道を歩けないし、電車やバスに乗るのも億劫で何処に連れて行かれるか分からない。ニュースや天気情報、それに花粉の飛散情報などからも遮断されるので、いまどこでなにが起き、いま何度で湿度は何%なのか、雨や花粉は大丈夫なのかといったことがリアルタイムで分からないのだ。疑問をその場で調べることが出来ない。

むろんこれは誇張してはいるものの、もはや情報端末なしでは日常の行動もままならない自身の脆弱性を認識させられると同時に、デバイス本体はもとよりデータ管理の重要性を改めて思い知らされることとなった。

 ¶

何が起こっているというのだ。
昨年は携帯電話の水没によるデータ消失。一昨年は、いやもうすこし前だったかMacBookProのキーボード上にウィスキーをぶちまけてしまいデータ消失。
これから起こることが怖い。

それにしても、まるで神隠しにでも遭ったかのような愛機。電話をかければ留守番電話になっていて、メールは送れる。
返信があるはずもないのだが、「いま何処にいる?」と、送信してみた。

20110725

記憶のラビリンス/スクエア25_7th

3rd(2009)より参加しているギャルリーソレイユの企画展『スクエア25』。7thとなる次回(2011/11/28~12/3)のキュレーター役をいささか力不足ながらも務めることになり、テーマを”記憶のラビリンス”とした。
テーマの提示、それに展示構成などを担当するのだが、絵画主体のグループ展なので上手く出来るか不安であると同時に、<記憶>というものをめぐるささやかな夢想が多様な作家たちとどう交差し、それが共有であれ反共有であれ、どのような展開をみせてくれるか楽しみでもある。

[記憶のラビリンス]

過去の、あるいは未来の記憶と戯れ、夥しい<記憶>の集積が織りなす迷宮的な壁面の内に<夢>を見出すこと。

「なんのこと、ヴァージル?」
「連鎖だよ。組み合わせだ。力だよ」
「お願い。わかるように話して」
───────────グレッグ・ベア『ブラッド・ミュージック』

あたかも夢を見るかのように、いささかためらいつつも記憶のアーカイブ(貯蔵庫)の奥深くへと分け入ってみる。暗箱または暗室をおもわせる大容量のハードディスク。
喪失したかにおもわれた、それら時間と空間の脈絡をともに欠いた記憶の断片をサンプリングし、再生してみること。

攪拌と再編、または変奏。

夢が時空を欠いた過去の、あるいは未来の記憶の断片的かつ荒唐無稽な大脳皮質への投影だとすれば、この再生行為はそうした夢の構造に似ている。

憂鬱と快楽。

夥しい<記憶>の集積が織りなすソレイユの空間をひとつのカメラ・オブスキュラ(暗箱)だとすれば、小さな孔を通して外部を映し出すと同時に、内部から外部へと迷宮的な壁面を逆照射することだろう。

この壁面は、さてどのような<夢>を夢みるだろう。

「ここでは、《思考宇宙》では、すべてが可能だ。シミュレーションだ。あなたの記憶をもとにした再構築だ」
───────────グレッグ・ベア『ブラッド・ミュージック』
「私が愛してやまないもの、それは思い出と記憶である」
───────────ジャック・デリダ『回想録』

20110530

水をめぐるアダージョ


4度目の参加となるギャルリーソレイユの企画展『スクエア25_6th』。今回のテーマは”水”。
これは昨年末には決まっていて、僕は『水をめぐるアダージョ』と題し、6x6判モノクロームによるゼラチンシルバープリント3点(horizon/steam/cloud)と考えたのだったが、奇しくも311以後メディアには<水>が氾濫する事となった。
浸水/冷却水/注水/汚染水/ミネラルウォーター/水ガラス/水棺………
そして<放射性物質>。
ヨウ素/セシウム/ストロンチウム/ウラン/プルトニウム………
こうした状況にあって表現するとはどういうことか、いまいちど問い直さなければならないだろう。
出品作は、[crack_239] [plant_131] [cloud_137]。
アダージョ。遅く、緩やかにではあるが軽やかなテンポで。



[スクエア25_6th "水"]

ギャルリーソレイユ
2011年5月30日(mon.)→6月4日(sat.)
11:00→18:30(初日12:00より、最終日16:00まで)

20110529

架空のエキジビションとしての"Cluster_Tokyo"

──『写真の地層展Vol.13』を終えて

──もっとましな方法は、それらの書物がすでに存在すると見せかけて、要約か解説を差しだすことだ。──ホルヘ・ルイス・ボルヘス『八岐の園』プロローグより

さながら五線紙上の音符の進行のように、自身のアーカイブからとりあえずのキーワードとしての<Tokyo>で抽出した<写真>が、回廊または螺旋状の壁面を横へ横へ、あるいは縦へと時系列やフォーマットを無視して連鎖的に連なってゆく。
即興パートや引用を交え、強弱のリズムを伴って疾走と停滞を繰り返しつつどこまでも。
そうした空想の展覧の一断片を断片として提示すること。
さてしかし230キロ圏。
<Tokyo>はついにゴーストタウンと化す日が訪れるのだろうか……。

Vol.11(2009)以来ひさしぶりに『地層展』に参加した。
出品作は前回同様のコンセプトで、コラージュ的手法によるインスタレーション『Cluster_Tokyo』。
写真学校の先輩で主催者の桑原敏郎は、このグループ展を「自分の世界と他者の世界がどのように共存していくかをそれぞれが受けとめてみる試み」だとし、「どんな作品が集まり、どんな空間が作られていくのだろうか……」と仄かな不安と期待が交差した眼差しで記述する(プレスリリースより)。
これは、僕の主要な関心事でもある<並置><共存><部分/全体>といった概念と通底するものがあり、多様な方向性をもつ複数の作品による<場>の共有は搬入・展示時までその全体像が掴めず、いわば即興的にひとつの空間を恊働で創りあげていくといった作業は刺激的であり、出会いと発見のある楽しい経験となっている。
今回は、床面の一部と壁面下部を覆いつくすかのような小松浩子の圧倒的な銀塩モノクロロールプリントと、壁面のあちらこちらに偏在し、抑制されたカラーのシークエンスで静かに侵蝕する桑原敏郎のインクジェットプリントとが織りなすコントラストが基調低音となり、その間隙を縫って多様な作品が危うげながらも調和していてここちよい緊張感があった。
総体的にメリハリがあり、インパクトのある展覧となったのではないだろうか。
次回が待たれるところだが、残念なことに世田谷美術館が改修工事のため当面休館するのだという。
STRATO FOTOGRAFICO、今後どのように展開していくのだろうか。

[STRATO FOTOGRAFICO 2011_写真の地層展Vol.13]
2011年5月18日(wed.)→22日(sun.)
世田谷美術館—区民ギャラリーB
<プレスリリース>
http://www.fukudatakeshi.com/fukudat/vol13dm.html

20101105

『Difference_Dictionary』のためのエチュード

ギャルリーソレイユ壁面展示風景(個別の作品イメージの著作権は各作家に属します)

もはや僕にとっても半年ごとの恒例となりつつあるギャルリーソレイユの企画展『スクエア25』。
けれども、3度目の参加となる今回のテーマは〈艶〉ということなので、乾いた表現を好むものとしてはウエットな語感に違和を感じ今回は辞退しようとおもっていたのだった。
しかしこの企画展を、自身の作品プランを試行する、いわばささやかな実験室のようなものと考えているので、たとえそれがいかに不得手で不似合いなものであるにせよ自身に引き寄せ取り組もうと考えた。新しい発見があるかもしれないのだ。

自己についての辞書といった架空の書物の編纂を夢想してみる。
なにを視、なにを感じ、どう考えたか。それを差異/ズレといった概念を思考の軸として、言葉によるのではなく写真により、恣意的に択んだ約50のキーワードについてアルファベット順にひとまず定義するのだ。
むろんそれは撮る主体の不確からしさに見合って、語から語へと派生的な拡がりを持つと同時にたえず更新される気まぐれな辞書となるだろう。タイトルは『ディファレンス・ディクショナリー』としよう。初期サイバーパンクの傑作『ディファレンス・エンジン』にも似てとても響きがいい。
今回の展示は、【cloud】【pipe】【sheet】という3つの単語についてエチュードとしての提示。乾いたエロティシズムを表現できればいいのだが。



『スクエア25 5th ”艶”』

ギャルリーソレイユ
2010年11月29日(月)→12月4日(土)
11:00→18:30 (初日12:00より、最終日16:00まで)

20100520

"秘密の森"展に向けて

ギャルリーソレイユの企画展スクエア25_4thに出品する。昨年11月に続き2度目の参加となるが、絵画主体のグループ展であり、異なるジャンルの作品や作家達との出会いや交流は刺激的であり楽しみだ。
テーマは"秘密の森"。<誰も知らない秘密の場所、あるいは日常から離れた心の中の夢想の森をスクエアの中に描く>というもので、前回の"Silent Night"同様とても魅惑的だ。
抽象的で緩やかなそれはアプローチの自由度が高く、さまざまなジャンルの作家達が多様な表現を25cm角のアクリルフレームに展開するというこの企画は、このギャラリーに関係する作家達を中心とした総勢約50名もの展示であるにも関わらず、テーマの共有と限定されたフォーマットにより単なるグループ展とは一線を画している。
半年に一回のペースで開催されるこの企画展を、そのたびごとのテーマに沿って自身の作品プランを試行する場と捉え、今回は、かねてより構想中の"Death"シリーズ(3部作)のためのプロローグとして制作を進めている"dead_cherry"から3点の出品を予定している。
"死の森"というわけだ。
この作品は来春サクラが散る頃まで未完を余儀なくされているが、携帯画像や35mm・6×6などの異なるフォーマットで、スナップショット/スティルライフ/定点観測/シークエンスといったさまざまな手法で散ったサクラを撮り、路面を乱舞する桜吹雪のように陽気で軽やかな"桜の死"をインスタレーションにより提示したいと企図している。BGMはバッハの「G線上のアリア」としよう。ゆったりと、殆ど聴き取れぬほどの音量で。
さて"秘密の森"展。総体としてどのような"森"を見せてくれるのだろうか。




『スクエア25 4th ”秘密の森”』

ギャルリーソレイユ
2010年6月7日(月)→6月12日(土)
11:00→18:30 (初日12:00より、最終日16:00まで)

20091217

20091216

Silent Night展を終えて












ギャルリーソレイユの企画展『スクエア25_3rd』(11.30-12.5/東京・京橋)に参加した。今回のキュレーターである友人の画家・夏野夛永さんからのオファーで、テーマは"Silent Night"。ダークなイメージが欲しいのだという。フォーマットは25cm角のアクリルフレーム3点以内。曖昧で緩やかなテーマ設定と限定されたフレーム、面白いと思った。しかし絵画主体で、彼女いがい出品作家の人と作品を誰も知らないので戸惑いがあったのだが、オーナーの渋井さんの人柄のせいかなにかアットホーム(僕には不似合いな言葉だが)な雰囲気で、とてもいい経験となった。
おもいがけず、今年はこうした絵画など現代美術主体の企画展への参加が続いた。もうひとつは、かつて個展(mirror/sky/window-構想中のプランをめぐるいくつかの試み-/1989)でお世話になった現代HEIGHTSギャラリー(東京・下北沢)での"A trase of 10 years in Gallery Den"展。これまで写真のグループ展には数多く参加し自身でも企画してきたが、ジャンルの異なる作家たちとひとつの場を共有するというのは”ミニ・プリント展[新しい版の表現]”(高円寺画廊・1991)以来となった。これまで2回参加した世田谷美術館での”STRATO FOTOGRAFICO_写真の地層展” を含め、限られたスペース・限られた点数での出品は、自身の考えている事、やりたい事を試すいい機会だと考えている。机上や頭の中で考えているのと実際に壁面に展示するのとでは大きなズレがあるからだ。それになにより他ジャンルの作家たちとの交流は刺激になり魅力だ。
さて、来年はこうした企画展のオファーがはたしてあるだろうか?